Vol, 9の続き May 14, 2006

 話が飛びますが、その頃の私はデンバーで毎春に行われる全米大会で二連覇を成し遂げ、秋のシカゴで行われた全米大会でも優勝し、選手としては好調な成績を残せており、のぼせ上がった傲慢な人間になりつつありました。アメリカに来て右も左も分からない私に一から手取り足取り教えてくれた三浦師範への恩を忘れ師範の下を去り『大津道場』を立ち上げ、ゆくゆくは常設道場を持ち独り立ちするつもりでいました。ところが、永住権取得が絶望的な状況になったことで夢を打ち砕かれこれまでにないガックリした日々を過ごす羽目になりました。

  不法滞在というstatusでは道場としての活動を広げていくのは難しく『アメリカで表立って道場を開けないのであればもう日本に帰えろうか!』と考える日々を過ごし、ある日クラスが終わって何人かの道場生に「多分、近いうち日本に帰ってしまうことになる」と打ち明けました。そうするとそこに居た一人の女性が「全米大会で3度チャンピオンになっているし、こうしてアメリカ国籍の人達に教えているのだから『extra ordinary』のカテゴリーで永住権を申請してみたら?もしその気があれば私が引き受けるし報酬はいらない」(弁護士料は、当時で日本円にすると5060万円程、今では100万円ぐらいかな?しかもほとんどの移民法弁護士は成功報酬制ではなく、Visaが取れなかった場合もしっかり請求されます)と言って来ました。 僕はそれまで知りませんでしたが、彼女は移民法専門の弁護士であり、すがる思いで申請をお願いしましたが、彼女とて取得できるのか? 期間はどれほどかかるのか?まったく予想できない状態でした。 

  さぁ!その日から早々に申請書類の準備にかかります。先ず、彼女より78種類の必要書類を集めるよう指示され、その中に米国で活躍する著名な空手マスター(師範級の人達)少なくとも4人から推薦状を貰ってほしいとのリクエストがありました。しかし、三浦師範とは疎遠になっていた時期であり、初めから出鼻を挫かれた思いでしたが、人間崖っぷちに立って後がないと思えば大胆になれるものです。まさに一か八かの心境で三浦師範をはじめ円心会館二宮館長、極真会館ニューヨーク支部長五来師範、US士道館シカゴ支部長松本師範とそうそうたる師範達に推薦状をお願いしました。断られるのを覚悟しての上でしたが各師範方には快く引き受けていただき、いまでも言葉にならない感謝で一杯です。師範方とは大会に参加させていただいたり、出稽古をお願いしたりして縁を持たせていただきました。『Try first !』が私の信条です。もちろん自分勝手な都合だけで相手に失礼があっては言語道断ですが...。 その他にも道場生、その父兄や僕が空手クラスを授業として持っていた台湾系のSunday school の校長先生など、たくさんの方々が推薦状を書いてくださり、その甲斐あって異例の速さで永住権を取得することが出来ました。まず、不法滞在者から正規の滞在者として労働許可証が下りたのが申請から4日目(通常は早くて12年、近年ではどれくらいかかるかも分かりません)次に仮の永住許可が下りたのが3ヶ月後ぐらいだったと思います。そして正式に永住権を手にしたのは申請からたった約6ヶ月後のことで、通常行われる面接も免除されました。この異例の速さに彼女自身が驚き「多分、移民審査官の中にあなたのファンがいたのよ!だってPhD (博士号)を持っていても2年ぐらいかかるし面接免除なんてまずありえないから!」とマジ顔で言われました。

  何はともあれ自分の可能性を信じ空手道を続けたことで、たくさんの人たちに出会い、また助けられながら異国の地で生活できた僕は幸せものだと実感しています。それと同時にアメリカという国は、いま日本でよく耳にする『格差社会』『弱肉強食』を象徴するような国でもあり、何とも言えない不思議な国だなぁ〜と感じます。    押忍

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