ある思い  July 05, 2014

 更新をついサボっていると、もう7月に入ってしまいました。久しぶりにコラムのアップです。今回は我が道場に通う一人の中学生Kクンに感じた思いを書きたいと思います。

彼に出会ったのは確か彼が小4の時だったと思います。あるマンションに住む子供たち25人程を対象に週一回そこの多目的ホールを使って出張空手クラスを始めた時、初日から稽古に参加してくれたのが彼と初めての出会いであったように記憶しています。開設当初は空手経験のまったく無い小学生26人を一人で教え始めたものの思い通りに事は進まず毎回のようにストレッチや集中力を欠いた子供たちを注意しているだけでクラス時間が過ぎて行きました。その彼もご多分に漏れず、大部分の時間を集中出来ずに親から言われてとりあえずクラスに参加してやっているぐらいの状態でした。(笑) 私から見て空手に飽きたら辞めるかも?ぐらいの感じでいたのですが夏合宿にも毎年参加して楽しみ始めているように感じてきました。ただ、色々な事情で長期にわたり顔を出せない時期もありましたが、時が経ち彼が6年生の後半になった頃から人が変わったように自ら大きな気合を入れ常にクラスを盛り立ててくれる存在となりました。そして、中学入学と併せて部活との掛け持ち等で時間的に通うのが難しくなり辞めていく子たちが多い中で彼は時間を調整してはクラスに参加し、以前にも増して積極的にPadsの持ち手になりクラスがスムーズに進むように協力してくれます。 先日のクラスでは30分ほど遅れて来た事を何度も詫びるので「事情は分かっているから無理のない範囲で参加し、精一杯稽古したらいいんじゃないの!」と諭し、お母さんにも遅れて参加する事を私は一切問題としない旨を伝えました。 だって、誰しも空手クラスだけを念頭に日々過ごしているわけではなく、それぞれがそれぞれの事情を持ちながらそれでも『大津道場』で自分自身を磨きたいと思う人たちが汗をかきに来てくれているという考えが私の根底にあるからです。また、クラスでは『私がこれまでに師事した偉大な先生方に教えられ、それらを基に自らの体験を通して得た技術や心のあり方を縁あって私の下に集まる道場生に伝えているのである』という自覚を持ち、上達するか否かはその人自身の努力に因るものであると強く思っています。 何事もそうだと思いますが上から教えられた事を言われるままに繰り返すだけでなく、教えられた事を工夫しながら自分自身の身体や動き、性格に合ったものに変えていってこそより上達が目指せるのだと思っています。 誤解を恐れずに言うと、私自身も三浦師範からいただいた多くの教えやアドバイスをかみ砕きながら自分のものとして身体に叩き込んでいったように思います。 頭っから『こんな技は使えない』などと否定するのではなく、それをどのように変化させ『使える』と思えるようにするか? それこそが『習う事』の面白さであり醍醐味であると思うのは私だけだろうか? また、こういった考えは空手道の世界だけに限らず、どの世界に於いても役立つフィロソフィーであると私は確信しています。 だからこそ私は教える事の大切さ、楽しさ、ありがたさを実感していると自負しています。 押忍

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