FIFA World Cup で思い出す事      17 June, 2006

米国に住んでいた時、サッカーの話題で盛り上がったことがなかった私は日本国内での熱狂ぶりに驚いています。 僕も小学生の頃、サッカー少年団に入りゴールキーパーをしていました。当時は野球の方が人気があり、サッカーはプロも無く、上手くなってもそれだけで飯を食べていける道はなかったように思います。 野球にもTRYしましたが団体競技にそれほど熱中できず、中学のクラブ活動は柔道、高校ではボクシングと格闘技系を習い始めました。僕の中学、高校時代は竹の子族が話題になり、校内暴力が毎日のようにニュースで取り上げられていた世の中で、ケンカに強くなければなめられると勝手に悟ったのかなぁ? 特に高校はボクシングがしたいが為に誰も知り合いのいない県外の高校に入学しました。そこは当時3000人程の生徒がいたマンモス男子校。(現在は共学)まるで県下のツッパリ連中が全員集まったような環境で『ケンカに絶対負けてはいけない』と内心強く感じていましたが、在学中ケンカを売られたりする事はありませんでした。おっと!話が書こうと思っていた事から外れていっているので話題を変えます。

 アメリカでも8年前にWorld Cup が開催された頃から、中南米やヨーロッパからの移民を中心に盛んになってきたようですが、まだまだメジャーではないようです。因みに、シカゴにはChicago Fires』という強いプロチームがあります。

 さて、4年前の日韓共催の時期はカナダのKankaskis(Calgary近くの避暑地)で先進国首脳会議も開かれていました。僕は政治家と関係はありませんが、JAL に勤めていた関係で日本国政府専用機のGround handling に参加させていただき、世界の首脳たちを間近で見られるチャンスなんて滅多にないので貴重な思い出です。(主にJAL本社とVancouver支店の人たちが中心となり作業を進め、僕はその助手として借り出されていただけですが...)ただ実際に見れたのは、ブッシュ大統領、小泉首相、ドイツのシュレーダー首相と名前を忘れましたがカナダの首相だけでした。その中で僕にとって、ブッシュ大統領がAirforce oneで飛立つシーンが未だ脳裏に浮かぶほど感動的でした。

 先ず、映画のシーンのように山陰から4機のヘリコプターが突然現れました。アメリカから持ち込んできたMarine one 2(ホワイトハウスとAirforce one が駐機してあるアンドリュー空軍基地間に利用されニュースでもよく映っている機)とカナダ空軍の2機です。着陸前になるとそれらがぐるぐると入れ替わり近くで見ていても、どれがどれだったか分からなくなりました。(もちろんこれはSecurityの為です) そしてMarine one 2機が着陸すると降機口に2台のリムジンが猛スピードで横付けされ、1機ずつドアが開けられました。その時は、最初に開けられた機から大統領は降りて来ず2機目からでした。リムジンに乗るのかと思えばそうではなく、約100m先にあるAirforce oneのタラップまで徒歩で向かい、周りをシークレットサービスが囲み、その横をリムジンが伴走してました。また半径150m程の円を一段と屈強なシークレットサービスが作り、大統領が歩くと一緒にその円が動いて猫の子一匹も入れない屈強なガードです。中には女性のAgentも何人かいましたが、どの人も「日頃鍛えてるなぁ」とひと目で分かる体型です。みんなサングラスをかけ、黒っぽいスーツ姿で、まさに映画シーンそのものでした。Airforce oneは大統領が搭乗すると最優先で空に飛立って行きました。それに比べ、日本国政府専用機はWorld Cup 決勝戦のドイツ応援のためシュレーダー首相が同乗し、両国の首相が搭乗していたにも関わらずrunwayでしばらく待たされ、その間、民間機が離発着しているのを見て、この待遇の違いに僕は自分が馬鹿にされているようで、大人げなく内心穏やかではありませんでした。 話し変わって、色々な経緯を見て他国の首脳が政府専用機に搭乗するという事は(しかも10時間程)同盟国の首相であっても裏方の人たちは大変なんだなぁという事をひしひしと感じました。 また、政府専用機を実際に運行する航空自衛隊の方たちと接し、知らなかった世界を見たり聞いたり出来た事は僕にとって貴重な体験でした。これ以上書くと長くなり、読むのも疲れるので止めます。

がんばれニッポン!   押忍

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