空手の試合って...何のため?    June 26, 2006

先日、久しぶりに空手の試合を観戦してきました。子供の試合を中心とした大会でしたが、観ていると思わず拳に力が入り、まるで自分自身が戦っているかのように身体をゆすったりしてしまいハッと我に返って恥ずかしく思うことが多々ありました。そういえば以前、僕が出場した大会のビデオを何人かで集まって観ていた時、Videoを観るよりVideoを観ているHideさん(僕のこと)を観察している方が面白いと言われたことがあります。知らず知らずの内にまるでその場で戦っているかのように身体を動かせていたそうです。 さて、周りを見渡して見ると自分の息子や娘が出場している親御さんの応援は格別です。 お父さんもお母さんも「行け!蹴れ!前に出ろ!」となりふり構わず声を張り上げていました。

  僕の試合経験から言うと、応援があるとないとでは気合いの入りが全然違ったものになります。 今でも僕の耳に残っているのは、初めてデンバーでの試合に出場した時の『Otsu』という声援です。 約8000人の観客がいましたが、僕の知り合いはcorner man(セコンド)として付き添ってくれた幼馴じみだけでした。因みに、彼は2年間ほど道場近くの英語学校に通い、帰国前には全米を車で1周し、帰国したその日に成田から東京に直行して、駅に置いてあったアルバイトニュースで住み込みの仕事を見つけ直ぐに面接も受け、次の日から右も左も分からない東京でドライバーとして運送の仕事を始めた強者です。ボロ雑巾のように働かされたようですが「2年間は絶対にがんばる!」と歯を食いしばって耐え抜いた後、故郷の香川に帰り家業の手袋製造販売でがんばっています。 そして、トライアスロンをやり始めこれまでに色々なレースに出場して完走しているようです。 先日は高知であった100kmマラソンを完走したそうで、こうと決めたら何があろうとやりぬく強い意志を持った男でとても魅力があります。 シカゴでは2人でよく行動したエピソードもいずれ披露したいと思います。話が随分と逸れましたが、そんな環境での僕への声援に奮い立ったのは言うまでもありません。しかも、異国の人たちからです。残念ながら、この大会は1回戦で時のチャンピオンに負けてしまいました。 ただ、再々再延長?まで戦って勝敗がつかず、その後の試し割り枚数も3度目にやっと1枚差が出て負けましたが会場内は興奮のるつぼと化し、僕達は観客にスタンディングオーベーションで称えられ、言葉では言い表せない最高の気持ちになりました。(馬鹿な奴だと笑うなかれ、これは実際に受けたものしか理解しえないと今でも自己満足している僕です) また、初めに書こうと思っていた事から外れています。(笑)

  どんな試合であれ、出場して戦う選手の心理を僕はその経験者として痛いほど感じます。 それゆえに「前に出ろ!」とか「手を出せ!蹴りを出せ!」と大声で叫ぶのを躊躇してしまいます。 戦う選手達は、どんどん前に出て攻撃しなければいけないのは百も承知です。でも、その前にその1歩を踏み出すために克服しなければいけない自分とのなが〜い葛藤があるんです。 

  空手を習い始めた頃、試合とは『自分自身との戦いである』と偉い先生から言われた事があり、その時「押忍」とわかったような返事はしたものの、心の中では「何言ってんだ!このおっさん、相手を倒さなければ話にならないじゃないか」と反発した事を思い出します。 今、「試合を通して何を学んだか?」と問われれば、自分自身との戦いに負けないこと、ステージで戦うのは自分1人ですが、その背中には多くの人の思い、願い、助けがあり、まさにチームワークであるということを声を大にして伝えたい!

 最後に、先日戦った全選手にこの言葉を贈りたい!

「勝ったからといって驕るなかれ、負けたからといって泣くことなかれ!」

押忍

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