蒸し暑さでの思い出    July 16, 2006

帰国してから2回目の夏を迎えようとしていますが、日本はホント蒸し暑い! 僕が米国に渡る前の日本の夏はこんなに暑かったかな? シカゴの夏も暑いけど湿気が日本に比べて少ないからか?ここまで蒸し暑く感じることはありませんでした。

そういえば、もう10年近く前になるかなぁ? シカゴが猛暑に襲われ連日連夜100℃(華氏、摂氏では3840℃)にまでなり約500人が亡くなった夏があり、不幸にもその殆どが一人暮らしの老人でした。 部屋にクーラーもなく、かといって治安が悪いため窓を開けておくことも出来ず、部屋の中はサウナ状態で体力の弱っている人にとっては相当の負担だったと思います。 因みにシカゴには、アパートであれ商業用ビルであれ賃貸する建物にはヒーターを設置して温度を何度かに保っていなければいけないという条例があり、冬は寒いといっても部屋の中では短パンにTシャツで過ごせる快適なものでしたが、暑さに対してはそのような条例もありませんでした。 余談になりますが、幼馴染みが借りていたアパートに居候させてもらっていた時、そこの暖房は蒸気で部屋を温めるシステムのため各部屋では調整することが出来ないようになっており、外はマイナス20℃の世界ですが、部屋に入れば裸でいても汗が噴出すほどで、部屋が3階だったので真冬でも窓を全開にして寝ていました。

 また、道場は冷暖房完備の快適な空間でしたが殆ど冷房を入れることがなく、汗っかきの僕は道衣を着るだけで全身汗だくでした。 クラスが終わりに近づくにつれ道着は汗で重くなり、終われば汗を絞れる状態でした。夏場のたっぷり汗をかいた後のビールは格別でした。 それを楽しみに稽古してるようなもので、クラス終盤は頭の中にビールが浮かんでは消えていました。 クラス終了の黙想をしていると喉が今か今かと鳴り始めていました。 いつも冷蔵庫にはよ〜く冷えた缶ビールがたっぷりと詰まっていましたが、さすがに終わって直ぐ冷蔵庫に一直線というわけにはいきませんでした。 最後の生徒がシャワーを浴びて帰るまでの我慢ですが、残って自主トレを始める生徒がいたりすると、まさに押忍の精神で手が届くところにビールがあってもじーっと見つめるのみでした。 師範はクラス後、生徒から質問を受けたりするので、それも待たなければいけませんでした。「お先にいただきま〜す」なんて事は、この世界ではありえず、いつだったか新しい内弟子が来て師範がランチに連れて行ってくれた時、その内弟子は余程お腹が空いていたのか師範より先にフォークを手に取って食べようとしたため、注意した事を思い出します。 師範はただ笑っていただけでしたが...。 三浦師範は余りうるさく言わずフレンドリーなので(とても良いことだと思いますが...。)誤解して直ぐ無礼講になる輩がおり、内弟子の出番となることが多々ありました。

 僕が内弟子の時、2年目の夏から冷房は壊れていましたが、修理されることなく過ごしていたので朝起きてから夜寝るまで玄関、裏口のドアを全開にしていました。 そんな頃、道場周辺の店に昼間から拳銃を持った強盗が入ったり、夜中にドアを壊して泥棒が入ったりと物騒になり始め、他の店は相手を確かめてからドアロックを解除できるシステムを取り付け、防犯に余念がありませんでした。 しかし、道場は相変わらず『いつでも誰でも入って来い』のままで、師範曰く「大丈夫だ!空手道場にカネがあると思わないから狙われないよ。」まぁ、そんなに心配するんだったらと、日本刀を二振り置いてくれていました。ある日、それを見た弁護士の生徒が「もし強盗がきたら、道場の敷地内で殺してもいいぞ!俺は無罪を勝ち取る自信がある」とポロリと言いました。 冗談とは思いますが、顔はマジでした。 お〜こわ〜!

 日本も治安が悪くなって、34階に住んでいてもベランダ側の窓を開けて寝たりしない方がいいようですが、僕は時々閉め忘れて寝てしまうようで、僕が何とも思わなくても、家人は何事かと思うほど慌てふためきます。 早く蒸し暑さが去ってくれないかなぁ〜?      押忍

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