シカゴ道場のつわも その1      July 27, 2006

正道会館との5対5マッチにシカゴからはGary先生とJerry Harrisの2人が出場することになり、そのJerryとの共同生活の思い出話を書こうと思います。 彼は身長2m8cm 体重135kgと恵まれたガタイの持ち主ですが空手家としては気が優しすぎるのが難点? 元々はNFL(ナショナルフットボールリーグ)シカゴベアーズのディフェンスでしたが、ヒザを悪くして辞めたという経歴を持っていました。 以前はGary先生の下で稽古に励んでいましたが、カリフォルニア州にMoveした為、試合に向け2ヶ月程シカゴ道場に泊り込み我々内弟子と同じメニューで稽古することになりました。当時、内弟子は僕と中野君の二人で彼は東京農大を卒業後、農家になる夢を持ち、その前に1年間空手の内弟子をやってみたいと三浦師範に直接電話をかけ許可された度胸ある男でした。

 そんな経緯から道場で3人の生活1日目が始まりました。それにしてもJerryのいびきのもの凄いこと...。 寝るときは、出来るだけ離れたところに寝床を作っていましたが、それでもあの爆音には参りました。彼が寝袋に包まって寝ている姿を見ると、まさにトドが海岸でボケーっとしている姿そのものでした。 また、我々は和食しか作れないのであまり食べないだろうと思っていたのですが、とんだ勘違いでガツガツと何でも内弟子の数倍は食べていました。特に、ご飯に砂糖とミルクをかけオートミール感覚でよくたべていたのには我々もびっくり!まぁ〜観察していると興味深い食べ方を色々していたし、少しは遠慮気味だったのか? 隣のホットドックスタンドでよく買い食いもしていました。 気前のいい奴でもあり、週末にお金がある時は僕たち内弟子をBarに連れて行ってくれました。 アメリカにあるBarはだいたい入る際、Photo ID(Illinois州は飲酒が21歳からなので,それ以上である事が証明できる官庁発行の証。普通は運転免許証)の提示を求められます。不法滞在だった僕はパスポートしかそれらに匹敵するものが無く、パスポートを持ったまま飲み歩くのは面倒だし(その頃はまだ大きいサイズ)落としたりすると問題が起こるので気が引けましたが、Jerryと行くと上手く話しをつけて、いつも問題なく入れていました。

 出入りチェックの役目は入り口付近で待機するバンサー(用心棒)達です。後日、僕がシカゴ大会でチャンピオンになってからは、試合に出ていた奴や観客に市内の人気店でその仕事をしている者が何人かいて、無条件で入れてくれる上に、長〜い列に並んでいても顔を見ると他の並んでいる人たちをよそにVIP待遇で店内に案内してくれることが多々ありました。やっぱり、これも得をしたのだろうか? そういえば書きながら思い出したことを一つ、決勝で戦った相手(それまで3連覇していたプエルトリコ人)に試合後、出くわした際「これから道を歩くときは気をつけた方がいいぞ!」と助言を受けました。彼の話によると、チンピラたちがチャンピオンという事で、道端でひょっこり会うとケンカをふっかけて来ることが何回かあったそうです。 彼等は飛び道具を持ってる上に、本当に撃つから相手にすると厄介なことになりかねません。 幸いに僕は、そういう場面に出くわすことは一度もありませんでしたが...。

 おーっと話を戻して、Jerry選手、結果は川地選手と引き分けでしたが、身体が大きいため相手がためらいながら攻撃していたのが幸いしたような内容で、三浦師範はシカゴに帰ってきてからも相当怒っていました。 会場ではラウンドとラウンド間の休憩中、マット上でビンタを入れたようですが奮起できずじまいだったようで...。 その後、ultimate大会なんかに出場していたようですが、花は咲かず、今はどこで何をやってるんだろう? どこかで元気でいるとは思いますが Mr.Jerry Harris !

 そういえば内弟子の中野君、ある日のクラスでJerrryと組手をやった際、前蹴りを顔面にもらい唇が裂けてしまいました。 さあ師範は日本に出張中で彼の口からはみるみる鮮血が溢れだし僕は動揺してしまいました。運の良い事に、たまたまメディカルドクターがクラスに出席しており「私が縫って治療をする」と申し出てくれました。ただ「勤務先の病院から麻酔薬は持ち出せないので、麻酔無しで縫うことになる」と付け加えました。 中野君は一言「押忍」と覚悟を決め45針縫ったと記憶していますが、その間痛そうな顔を一切みせず痛みに耐えていました。 まさに武士あります。 今、思い出しただけでも相当な痛みだっただろうと想像してしまいます。さてさて、昨今の自分を振り返り、文句を言わずに耐続けた彼を見習わなければと改めて感じる次第です。 押忍

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