歯の思い出     December 16, 2006

 先日、歯の定期健診のため銀座で幼なじみが開業するデンタルクリニックに行ってきました。歯のケアについては米国生活で強い関心を持ち、それについて書きます

  内弟子の時は健康保険なんて持ってないし、米国に国民皆保険制度なるものは無く、もしあっても不法滞在の身では入れなかったでしょう...? よりによってそんな状況で親不知が成長を始め、歯医者に診てもらわないと稽古どころではない毎日を過ごしており、もし実費で診てもらえば当時の僕にとってとてつもない金額を請求されるのは明らかで、そんなお金は持ち合わせてなかったため、耐えがたきを耐える日々でした。 ある日、生徒の親から『大学病院でモルモットになって研修生に治療してもらえば格安!』という情報を耳にし『このまたとないチャンス』に道場近くのDe Paul University内 Dental officeに直行しましたが直ぐには治療してくれず、先ずはレントゲン撮影をし、次にどのようなOperation(手術)を行うかの説明へと進みました。もちろん英語なので僕はちんぷんかんぷんでしたが、いかにも理解したように「okey !」「yeah !」の連発で返し、最後の Any question? (質問は?)の問いにも「Not really !」と少しゼスチャーを加えながらの返答で気分は既にアメリカ人です。 そして、3日後ぐらいにoperationの日取りが決まり、歯を4本一気に抜くため全身麻酔をすると通訳として同席していた人から知らされました。 その時は何とも思いませんでしたが、知人曰く「一気に4本も抜くことなんかありえないよ! 出血が止まらなかったら死んじゃうよ!」と脅され、後に幼なじみに確かめたところ『日本ではありえないね!』の一言。 
  さて、手術当日は大勢の研修生と思われる人たちがベッドの周りで待ち構えていました。 ただ、実際に治療を施すのは教授であるドクター数人で研修生はしないという説明でしたが、麻酔を打たれてしまえば誰がやったかなんて僕には分からないもんね...。 手術は1時間ぐらいだった思いますが、それから1週間はほっぺたが腫れて漫画の『ガキでか』のようでした。もちろん稽古どころではなく、師範もさすがに道場での寝泊りはかわいそうと思ってくれたのか生徒の家で過ごすのを許可してくれました。 今でも、その家でチキンスープを飲もうとした時、全身の力が抜け落ちその場に倒れ体が痙攣し始めたのを思い出します。この時ばかりは『ひょっとしたらこのまま逝っちゃうんじゃないか?』という思いが頭の中を駆け巡りました。 幸いにも生徒のお母さんが看護士で直ぐに適切な処置をして下さったおかげで大事には至りませんでした。こうして親不知の治療は無事終わりましたが、その時のレントゲン検査で虫歯が7本もある事が分かり、しばらくは治療に通う羽目になってしまい、歯医者に通うなんて小学校以来の出来事でした。 
  こんな経験から歯に対する意識も変わり、後に歯科医が道場に通い始め、僕の歯をシカゴから離れるまでcareしてもらい、無保険の時は一切の治療費を請求せず、半年毎の定期健診の必要性や噛み合わせの悪さが偏頭痛などに関係してくるなどの指導を受け、本当に歯の大切さを実感しました。 こんな経緯もあって20歳後半で矯正による噛み合わせをより良くする決意をしました。 それから約6年に亘り(通常は2年程ですが、歯科医も唸らせるほど僕の歯は頑丈だったようで彼等の思い通りには動きませんでした)食事の際は不自由を経験しましたが、その治療によって改善された事も多々ありました。

  ついでに思い出話を一つ。 道場での組手で相手の上段前蹴りが僕の口に命中し相手の足の裏からは血が溢れ出てきました。どうも僕の前歯が突き刺さってえぐられたようです。なんせカカトが見事にヒットしており、本来なら僕の歯が折れていてもおかしくないのですが...運よく無傷でした。また、矯正治療に関連して八重歯を抜く際にも医者は相当苦労し、幼い頃から小魚を好んでよく食べていたからかな?と感じました。

  帰国の際、気掛かりの一つが良い歯医者を見つけることでしたが、幸いにも幼い頃から良く知り、信頼できる友人が激戦区の銀座で開業しており、所沢から離れてはいますが46ヶ月ごとに定期健診に通い歯のcareを委ねています。 このコラムを読まれた方で自分専門の歯科医を持ってない方は尋ねてみてください。銀座一丁目駅ビルのアイタワーに在る『アイタワー歯科クリニック 03-3566-8241』自信をもって紹介します。     押忍  

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