-eating    March 16, 2007

 これまでの我が人生を振り返り『食べる』ということに苦労した経験は無く金銭的に苦しい時でも食べ物にはありつけました。 そう考えるとこれまでの人生はとても恵まれていたと感じずにはいられません。大山倍達総裁が常々「君達はネ!飽食の時代に生きているから飢えを知らないんだよ! 食べ物に飢える事がこの世で一番恐いんだよ!」と言われていたのを思い出し、戦争を通して食料難の時代を生き抜かれた総裁の言葉は重く感じましたが、その時代を知らない僕には実感まで出来なかったのが正直なところです。 そこで今回は『食』についての経験を書きたいと思います。

  どちらかというと僕は大食いの方だと思いますが、大山総裁の内弟子だった頃の思い出話をひとつ。 ある日、午後からの稽古に備え昼食にどんぶり飯を3,4杯たらい上げ、十二分に腹を満たしてからロビー番の任に就きました。すると、しばらくして「総裁が出かける」との一報が入りました。総裁が外出する際には内弟子が必ず後ろから付いて行く事になっており、その時は運悪く? 僕がその役に当たりました。その日は徒歩で出かけられたので途中タクシーでも拾ってどこかへ行かれるとばかり思っていたら、総本部近くにあった中華料理店に入られました。どうもそこで知人と待ち合わせて一緒に昼食をとられる様子だったので僕は店に入らず外で待つこととなりました。しばらくすると先輩2人が走ってそのレストラン前に現れ「大津!おまえも一緒に来い!」とのお言葉。本来であれば大喜びするべきなのでしょうが『もう何も食べられません』状態の僕にとっては地獄への囁きに聞こえました。先ず総裁と食事をする際は自分で好きなものを選んで注文するということはありません。すべて総裁が注文し、出された物を一粒も残すことなくたらい上げなければいけないといった具合です。普段ならいざ知らず、その時僕の胃袋は既に満杯でした。 さて、席に着くと総裁が「彼等に・・・定食を3つ大盛で持ってきて!」とウエイトレスに注文をしましたが、どこをどう間違ったのか3人しかいないテーブル(私等は総裁とは別のテーブルに座ります)に4人分の定食が運ばれてきました。 間違いに気付き慌ててさげようとするウエイトレスに総裁が一言。「彼等は若いから食べるよ!さげなくていい!」 その言葉は僕の胸にぐさりととどめをさされた心境です。察するに先輩達も腹一杯のはず?と言うことは・・・? 案の定、その処理は僕の役目になりました。 僕の胃袋は悲鳴を上げてからも相当詰め込まれており、今にも破裂するんじゃないか?と思うような状態でしたが額に冷や汗をかき死ぬ思いで食べきりました。その後、先輩たちは先に総本部に戻り、僕はといえば腹を突き出した格好で歩きながら総裁のお供をして本部に向かう事になりました。途中、よりによって総裁と知人は喫茶店に立ち寄り、僕も総裁から直接「君も入りなさい」との命を受け同席する羽目になりました。 中華料理からようやくの思いで抜け出せたと思ったら、次はコーヒーとケーキが待っていました。胃袋が破裂しなかったのが不思議なくらいの食べっぷりでした。今でもあれだけよく食べれたなぁと自分自身に驚いています。若さゆえのなせる業でしょうか...?

  また、高校時代にはボクシングをやっていた関係で減量も経験しました。 試合が近くなるとグラム単位で体重を気にしながらの食事になり、空腹で夜中に目が覚めコップ一杯の水を飲む際もとてつもなく神経質になっていました。 僕は寮に入っていたため、夕食は柔道部やラクビー部といった大食いの連中と一緒になり、彼等の食べっぷりを尻目にみそ汁の豆腐だけとかサラダぐらいしか食べられない我慢の日々を過ごしました。学校に行ってもクラスメイトの殆どが早弁をする中、ボクシング部の連中だけは我慢・我慢です。 あの時ほどコップ一杯の水を気にせず飲める事がどれだけ有難いことか感じたことはありません。

  こうした経験を通して、僕は食することの有難さを実感するに至り、以後何かにつけて食事の場面では、喜ばれることが多かったです。例えば、台湾系のSunday schoolでクラスを持っていた関係もあり台湾系の人達と食事をする機会が多くありましたが、テーブルを共に囲む事でトラブルもなくお互に親交を深めることが出来たと思っています。他の文化で育った人種でも『食する事』は共通であり、良い関係を築く初歩だと僕は思っています。 77 さてさて、皆さんは楽しんでいますか? 食べたい時に食べ、飲みたい時に飲める自分自身を時には振り返りながら・・・?   押忍

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