気力/ energy    April 24, 2007

先月、三浦師範が来日し埼玉県春日部市で行われた武具講習会に参加させていただきました。久々の師範稽古、思えば僕が師範の内弟子として稽古をつけていただいていたのは師範がちょうど今の僕の年齢だった頃でした。 約20年経っても師範の気力は衰えを知らず、元気そのものでした。 はて、僕が還暦にあと数年という歳になった時、師範のように動けるだろうか? 僕にとってのbig questionです。 気力を持続できるのは日頃の規則的な生活と絶え間ない稽古の積み重ねかなぁ? 『適度の緊張感とほど良い心身のリラックス』このバランスが健康にも大きく影響すると思いますが、自分自身を省みるとシカゴで過ごしていた頃に比べ日本に帰国して以来、イライラしている自分にハッとさせられる機会が多くなっているような? 私の道場に通う人達には稽古を通して心身の調和(Conditioning)を感じて欲しいと思います。

 僕の経験から、空手の試合もトーナメントで勝ち上がっていけば技というより、心の強さが大きな割合を占めると思います。 やはり痛みを伴う試合というのは恐怖心が限りなく襲い、それを追っ払うために稽古していたようなものです。 もちろんどんなに稽古をしても恐怖心が消えてしまうことはありませんでしたが、唯一不安な心が薄らいだ時間であったように思います。 長々と書いていますが、心というものは目に見えないだけにコントロールするのが非常に難しいです。

 以前、全米でも悪名高きシカゴ市のサウスサイドで夕暮れ時、僕の運転していた車のタイヤがパンクしてしまい仕方なく修理していると、どこからか背後に黒人たちが集まり始め、身の危険を感じたことがありました。 この時、今にも破裂しそうなぐらい心臓はドックンドックンと鼓動を打っていましたが、表面は平静を保ち、彼等のおちょくりにも冗談を返せていました。 こちらは僕一人、何を持っているか分からない筋骨隆々とした連中が大勢で一気に襲ってきたらひとたまりもありません。映画や劇画のように相手を次々に倒し自分だけ無傷でいるということは殆どありえないでしょう。 よく空手をself defense(護身)の為に習うという人がいますが、実際にナイフやgunを目の前に突き付けられて冷静に習った通りに動ける人が何人いるだろうか? 僕が思う護身とは、危険を自分の周りに近づけさせないオーラを持つ事。危険が迫る前に追っ払える感覚を携える事ですが、それは日々の精進によって可能になるものかも? 何時ぞや道場に通う警察官から狙われる人は繰り返し同じような目に遭うことが多いと聞いた事があります。 やはり狙う方も、こいつだったら絶対大丈夫という人を選んで悪さをする事が多いそうです。 特にアメリカでは『自分で自分の身を守る』という意識を持っている人間が多く、狙った方も反撃に遭い命を落とす可能性が無きにしにあらず慎重に人選をするのだとか...? 余談ですが、三浦道場埼玉支部を預かる廣瀬先生はシカゴに住んでいた時、ダウンタウンから郊外にある道場までは電車で通っていましたが、ある日、稽古が終わって帰りの電車でついうとうとと寝込んでしまったそうです。 気がつくと電車はダウンタウンを通り過ぎ治安が特に悪い地域を走っていたようです。 案の定、車内にたむろしていたギャング風の数人が話しかけてきて、先ず持っていたバッグの中身を聞かれ廣瀬先生が空手の黒帯と分かると次の駅で降りて彼等の撃つ拳銃の弾を素手で掴み取れと要求してきたそうです。 深夜に彼等の縄張りで、普通だとビビッてしまうところですが、さすが肝っ玉が座り良い意味で神経の図太い廣瀬先生は泰然とした態度で彼等を追っ払ったそうです。廣瀬先生が思ったようにびびらず、反対に不気味で身の危険を感じ退散したのではないかと思います。もし、その時あたふたしていれば彼等の思う壺だったことでしょう。

 『気』といえば、近づいて来た人間を手を触れず『気の力』とやらではじき飛ばす神業のようなことをする人物がもてはやされた時期がありましたが、面白いことにマスコミによって一人有名になると、あちこちでその業を使う先生と呼ばれる人が現れたような...? シカゴにもそういう輩がいました。 デモストレーションがある度に『気』で高弟達を飛ばしまくっていました。 齢70前後だと思えるこの先生、僕の知らない世界の僕とは違った気力を思う存分発揮していましたが?

 僕にとって気力とは、三浦師範のように歳を重ねても変わることなく道着を身にまとい動き、その全身からオーラを発し他を益する事です。 さぁ!一汗流さねば!      押忍

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