お香もたき、屁もこく!      June 02, 2007

今回は、僕がシカゴで出逢った頑固で偏屈な寿司職人のオヤジについて書こうと思います。 このオヤジに初めて会った時の会話からシカゴ市内で鮨屋を営んでいる事を知り「今度、食べに行かせてもらいます!」と言ったところ、予想外の返事が...「来なくていいよ! あんたが来るような店じゃないから!」との一言。この言葉にはカチンときましたが、とりあえずその場は苦笑して収めました。 後日、友人から旨い鮨屋を見つけたけどオヤジがうるさくて食べ方もあれこれ指図するとの話を聞かされピーンときました。案の定、あのオヤジでした。 このオヤジさんにまつわるエピソードは数多くあります。

 この店にメニューたるものは無く、カウンター席に着くと先ず玉子焼きが出てきます。 これに醤油をつけて食べようものなら怒鳴り散らされた上に『帰れ!』の一言が飛んできます。 次に刺身が、そして落ち着いたところで最後の鮨が出てきます。 その鮨も手をつけずに話し込んでいたりすると『もう二度と来るな!』の怒声が飛んで来ます。 しかもこの店、治安があまりよくない地域にひっそりとありましたが、皆さん行こうと思いますか? 夜だけの商売でお客さんが10人程になると店を閉めてしまうようなところでしたが、商売は成り立っていたようです。

 ある日、シカゴトリビューン(米国中西部を中心に発行している新聞)の記者がこの店の事を記事にしたようで、それを読んだアメリカ人カップルがタキシードとイヴニングドレスを身にまといリムジンで乗りつけました。 もちろんオヤジさんに追い出されたそうですが...。 こんなオヤジも僕が空手の修行に励んでいる事を知ってからは色々とサポートしてくれ、金銭的に乏しかった僕にはいいマグロが入ると「飯を食いに来い!」と開店前の店に呼んでくれ腹一杯になるまでご馳走してくれていました。 また僕の試合には、店を閉めてまで応援に来てくれました。 そんなオヤジも若い頃、大酒のみだったようで肝臓を悪くしていて手術のためLos Angelsへ向かいましたが二度とシカゴの地を踏むことはありませんでした。手の施しようがないほど肝臓は悪くなっており、腕の良いドクターをしてどうすることも出来なかったそうです。 本人も生きてシカゴに帰って来られるとは思っていなかったのか、旅立つ何日か前、夕食に誘われ座っているのも辛そうな状態で色々話してくれたのが最後のお別れとなってしまいました。 周りの人たちは、このオヤジさんを好きか嫌いかにはっきり分かれていました。 

 葬儀のとき、小杭住職が良い悪いは別にして、この印象深いオヤジを評して参列者に言った言葉が上にある言葉です。

 さてさて、先日私の父も他界しましたが、周りの人はどう思いながら見送ったのだろうか? 親父は船乗りで海での生活が長く、若かりし頃は気性が激しかったと聞きいます。 ただ晩年を知る人は、地域の活動にもよく献身してくれたと故人を偲んでくれました。 僕にとっても、とてもいい親父でありました。僕がこうして好きな人生を歩んでいけるのも親父のおかげであると深く感謝しています。  合掌。

 何はともあれ、人の印象に残る人生を歩みたいと思う。 願わくば、自分自身でも良かったと思える人生を...!

 しばらく、コラムの更新が滞っていましたが、気合いを入れ直し、これから書きます。 宜しくお願いします。  押忍

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