昇級、昇段審査に思う  June 09, 2007

空手を習う以上、やはり黒帯を取りたいと願うのが常でしょう? 海外で『空手をやっている』と話すと間違いなく「Are you black belt ? 黒帯なの?」と聞かれます。僕は空手と柔道で黒帯を持っていますが、未だ初めて黒帯を締めた時の感激を忘れません。今回は、その昇級・昇段審査にまつわる事を書きたいと思います。

  先ず、僕自身のシカゴでの昇段審査の思い出から。 15人組手はともかくとして、古き時代に極真会での昇段を経験されている三浦師範たちの審査の一つに『三戦(サンチン)』『天掌(テンショウ)』の型を上半身裸で行い、全身を竹刀で叩かれながら、前蹴り下突きまでみぞおちにブチ込まれるものがあります。 初めてこれを見た時、衝撃が強く言葉にならず唖然としたのを思い出します。どういう意味合いがあるのか分からず『単なる見世物?』と思っていましたが、師範曰く、それらの型はゆっくりとした深い呼吸によって全身の筋肉を締める事を目的としたものであり、その締まり具合を試しているのだとか...? 因みに、師範が極真会本部で審査を受けた時は、竹刀ではなく木刀であったと聞き、そんな時代に空手を習っていなくてよかったとホッとしたのも束の間、その木刀が折れる事もあったと聞き二度びっくりです。 組手にいたっては、ご存知の通り100人組手を達成されている三浦師範。15人組手ぐらいで、ごちゃごちゃ言ったら一喝されそうな雰囲気を読み、別段気にも留めていない素振りに徹していました。 師範が100人組手を終えた時代は病院に入院させてくれるわけもなく、会館裏にある若獅子寮に担ぎ込まれ一週間程はまともに歩けず這って生活せざるをえなかったようです。特にトイレが辛かったと聞いたような...? そらそうですよね! 相手は入れ替わり立ち代りで、こちらは100人分の突き蹴りを全身で受ける訳ですから...。 あまりすすんでやってみたいとは思わないですよね? 師範もすすんで申し出た訳でなく、当時の大山倍達館長に呼ばれ「君は偉いね〜!ところで君ぃ、いつやるんだね?」と突然言われ、何の事を尋ねられているのか分からないまま「オーっス!」と言ったことが命取りとなり、すぐさま100人組手挑戦が決定したそうです。 まさに口は災いの元。それでも100人組手達成後「館長より『君は偉大だよ!』と言われた一言が耳に残っている」と時々話していただいたのを思い出します。
  さて審査後、まともに歩けないのはフルコンタクト系空手を習っていれば当たり前ですが、僕の場合、上半身が例の竹刀のおかげで最初はミミズ腫れになった線が数本背中と胸の辺りにできていただけでしたが、日を追うごとに上半身全体が内出血したようにドス黒く広がり、自分で見るのも気持ち悪いぐらいになりました。ただ、師範も心配をしてくれましたが、痛さは見た目ほどではありませんでした。それにも係わらず『ここで痛いふりをしとけば、しばらく稽古を休ませてくれるかな?』と密かに思った記憶があります。ついでに付け加えておくと、あの大男ジェリー・ハリス(2m8cm 135kg)は、昇段審査でギャリー先生の竹刀を受け大泣きしたそうです。 僕がまだ内弟子になる前の話で実際に見てはいないのですが、ギャリー先生の竹刀攻撃は痛そうです。 それに比べて師範からの竹刀は、痛そうな大きな音はするけど感じる痛さはそれほどでもありませんでした。 やはり叩き方にも上手い下手があって、それは叩かれた経験を通して身につくものだと思います。 以前、学校で教師の体罰が社会問題化していた時期がありましたが、叩かれた経験がないと力の緩急ができず相手を怪我させてしまい指導するはずが反対に恨みをかう羽目になったのでは?と思います。また、そのことによって世論は体罰イコール悪となり、何も出来なくなった教師達は子供たちになめられまくり現在に至るのでは? もちろん私の推察ですが...。

 ひつこく何度も何度も書きますが『何事も経験ですよ!体験に優る教えはなし!』

  例えば、僕が英語を覚えしゃべれるまでに何百回、いや何千回と笑われ、馬鹿にされ、恥をかいた体験が肥やしになっている事は否めません。 それと同時に度胸もつき、帰国するまでに何回か数百人のネイティブを前にスピーチをする機会がありましたが臆することもなく、彼等からお褒めのコメントをいただいたこともありました。 もし僕の中学、高校の英語の先生が、それを知ったらあまりの変化にびっくり仰天するに違いありません?

 人生なにがどうゆうふうに転ぶか分かりません! 迷っている暇などありません!前進あるのみです!  押忍

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