首都 Washington D.C   November 10, 2007

Astoria N.Yにある友人宅に泊まり、翌日の昼過ぎにWashington D.C へ向け出発しました。日誌によると夕方にはホワイトハウスなど連邦政府のofficeが建ち並ぶ Columbia district から数十マイル手前のBaltimore という町に着き、そこで宿を取っていました。 翌日の観光に備え、その夜はベッドにバッタンキューであったように思います。 9.11に起こったテロから4年経った、その当時でも警備は非常に厳しく色々制限され見学できないところも多く、特にFBI本部ではビルの写真を撮ろうとカメラを構えた途端にpolice が向かってきて身分証明書の提示を求められました。 そんな事情からか観光が予定より早く5時間程で見たいものすべてを見て回ってしまいました。 

 さぁ〜Washington D.CからSouth CarolinaAtlantaアラバマ州を経由してNew Orleans へ一目散です。 厄介なことに, その時Atlanta周辺にはハリケーンが上陸しており、そのハリケーンに向かって突き進んでいる状態でした。 途中、大木が倒れていたり、トレーラーが横転しているのを目の当たりにしながらも、なぜか『僕だけは大丈夫!』という訳のわからない自信に満ち溢れながら運転していた記憶があります。 

ただ『あれが一年後だったら...?』と思うとゾーッとします。 そうです!あのルイジアナ州、特にNew Orleans 周辺を壊滅状態にした『カトリーナ』が翌年の同時期に上陸したからです。楽しみにしていた『New Orleans Jazz』を愉しむどころでなく命も危なかったのでは? 幸いジョウージア州、アラバマ州は天候がひどかったものの、あのフレンチクォーターに着いた時は夏まっさかりという天気でした。シーズンは少々ずれていたものの、一年を通して観光客が多く、あちこちが人で溢れ返っていました。 やはり黒人とヒスパニック系が多い町、夜の散歩も一段と気合いが全身にみなぎります。 因みに、この辺りはザリガニを食べることが有名で僕もチャレンジしましたが、あまりおいしいとは思いませんでした。 僕が思うに、なんてったって和食が世界で一番。 残念ながら、この辺りで火を通してない魚介類を食するにはかなりの勇気を必要としますが、生カキを試したかったです! ただ、健康保険もないし、誰一人として知り合いがいないところでは・・・?諦めました。 夜はbar でシカゴとは違う感じのJazz に浸りながらグラスが空いていきました。 ほろ酔い気分でホテルに帰ってシャワーを取り、軽くテキーラをショットで一杯。 あとは横になって夢の中...。 翌朝はテキサス州ヒューストン近郊にあるNASA(連邦宇宙航空局スペースセンター)に向かう予定でした。 そこまで約400マイル(640km)の道のりです。 翌朝は『ゆっくり起きて、どこかのテラスでゆったりと朝食を』と事前に考えていたのですが、考え通りにはいかず早朝から目がばっちりと覚め、静まり返った町を散歩する羽目になりました。 ホテルのチェックアウト時間は、日本のように早くなく正午だったと思います。 フレンチクォーターの隅々まで探索しても有り余る時間です。 もちろん早く出発してもいいのですが、久しぶりのホテル泊に別れ惜しんでしまいました。 また、いつか訪れたいと思いながら出発しましたが、一年後にはフレンチクォーターも相当のダメージを受けたと聞き、あらためて『またいつか』ではなく『いま、そのとき』を大切にのちになっても後悔しないよう心得なければと強く感じました。 いまでも残念に思っていることは、あれだけ何回もニューヨークに行きながらワールドトレードセンターに上らなかったことです。 今となっては、叶わぬ夢となりました。

 ここまで読んだ皆さんにも『また今度』あるいは『もう少ししてから』と物事を先延ばしにして後悔した経験が一つや二つあると思います。 僕にはあり過ぎるぐらいありますが、この経験を肝に銘じ『いま!いま!今!』と心につぶやき、できる限り物事を先延ばししないようにしています。 まさに『走りたい時に走り、泣きたい時泣き、歌いたい時に唄い、笑いたい時に笑う!』の気持ちです
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