The 内弟子  July 15, 2008

 今回は、内弟子として師の下で修業を積んだ経験を振り返りながら感じた事を書きたいと思います。
 初めに内弟子になろうと思ったきっかけは高校生の時に読んだ大山倍達著の「武道教育」でした。その本によると池袋にある極真会館総本部若獅子寮で約三年間の修行を積めば海外に指導員として派遣される制度があり、どこでもいいから海外に出て自分を試してみたいと思っていた僕にとっては絶好のチャンスでした。まだまだ本を読んだだけの空想の世界でしかありませんでしたが、既に海外で大活躍する自分の姿を頭の中に描き始める始末だったと記憶しています。ハッと現実に戻れば内弟子になれるかどうかも分からないし、本の中ではそれがとてつもなく難関であるように書かれていました。 四国の田舎で生まれ育ち、それまで修学旅行でしか県外に出た経験のなかった僕にとっては東京で生活すること事態が一大事でした。僕の記憶が正しければ瀬戸大橋もまだ架かっておらず連絡船に乗って瀬戸内海を渡ったような…? 余談になりますが、その甲板にある店で食べる讃岐うどんの旨さは今でも忘れられません。思えば、海の上でベンチに座って瀬戸内海に浮かぶ小さな島々を眺めながらうどんが食べれる最高のsituationでは…?

  話飛んで、若獅子寮一日目は近くの床屋で頭を丸めて入寮式に臨み、二階の道場に整列していると、ある先輩が太鼓を叩き始め、しばらくしたところで階段を誰かが降りてくる足音が鳴り響き、その音が止まった途端、その場にいた全員が『押忍!』と張り裂けんばかりの声を張り上げると低く響きわたる声で『押忍!』と返答が。そこには、それまで雑誌等でしか見た事のなかったあの大山倍達総裁が立っていました。 その時の迫力というか眼光の鋭さに僕は微動だにしなかった事を思い出します。そして、その日から始まった内弟子生活のすべてが想像以上の厳しさでした。 その後、ニューヨークに渡り大山茂最高師範、それからシカゴに移り三浦美幸師範の下で人間形成に最も重要とされる年代を内弟子として過ごせた僕は大変貴重な体験をさせていただけたと心から感謝しています。ただ「そしたら明日から、もう一度内弟子生活を始められるか?」と聞かれれば返事は「No!」と即答です。便利さに慣れ、シャバ生活の楽しさを知ってしまった今、あえて禁欲的な生活にチャレンジする事を躊躇してしまいます。大山総裁曰く「君ぃ〜!刑務所に入ったと思えば内弟子生活は楽なものだよ〜!」と。 僕は刑務所での生活経験はありませんが、当時の若獅子寮は刑務所での生活より厳しかっただろうと想像します。

  アメリカに渡って仕えた二人の師範、共に空手界では伝説の人物でありながら家族の一員であるかのように接していただき、とても身近に感じられました。 今でも年に一度、武道連合のクリニックの際には三浦師範にお目にかかりますが、未だ初めてお会いした時のオーラを感じずにはいられません。gray hair が目立つ年齢にはなられたものの国際空手道三浦道場を立ち上げられ尚一層の情熱をもって奔走されているように思います。僕が内弟子をしていた時は稽古が終ってビールを飲みながら、或いはどこかへお供をした際の車中で、師範自身が若獅子寮にいた頃の話、大山総裁との思い出話、映画「地上最強のカラテ」撮影でのエピソード等を話して下さいました。なかなか聞くことのできない貴重な話に触れられたのも内弟子の特権であったように思います。

  結びに、私の内弟子時代に社会的地位のある方から「この時代に内弟子なんて何の役にも立たないよ!」と言われた事があり「今に見てろよ!」と内心穏やかでなかったことを思い出します。 多くの事が便利になり、すべてが速さの上に成り立つこんな時代だからこそあえて不便で禁欲的な内弟子という生活を求める若人に私は拍手喝采を送りたいと思います。 押忍

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