不思議な縁
                           
 NYCを飛び立って一時間半程で窓から当時世界一の高さを誇ったシアーズタワーを中心にシカゴの摩天楼が目に飛び込んできました。そのすぐ横には広大過ぎて僕には海としか思えなかった五大湖の一つ、ミシガン湖が広がっています。その時は思いもしませんでしたが、第二の故郷となるシカゴに到着です。O'Hare空港(当時、世界一の発着数を誇るシカゴの空港)には、三浦師範の奥様が迎えに来て下さり、師範に『新しい内弟子』として紹介していただき、奥様が英語で何か言葉をかけて下さいましたが笑顔で頷くしかできませんでした。

 先ず、空港から道場に直行し僕はそこで居残り、師範は一旦自宅に帰られ夕方のクラス前に道場に来られることになりました。道場はシカゴ市の隣町オークパーク市にあり、有名な小説家Ernest Hemingwayが生まれ、世界的な建築家Frank Lloyd Wright(日本の帝国ホテルを設計)が幼少期を過ごしたところとして知られる静かな住宅街でしたが、道一本隔てれば当時そこはギャングが毎晩のように抗争を繰り返し、昼間でも地元の人は入りたがらないエリアでした。後日、アメリカ生活に慣れたころ『命がけの肝試し』と称して何回か行きましたが、地元で生まれ育った友人は決して一緒に来ることはありませんでした。近くには英語学校があり日本からの留学生もたくさん来ていましたが、時々女性だけでそのエリアに買い物に出かけお金を取られたという話に『命まで取られなくて良かったじゃないか!』と慰めていたことを思い出します。事情を知らないと時として大胆な行動になるものだとしみじみ感じていました。いつぞや日本人がイラクに入り誘拐され無残な殺され方をしましたが、彼とていくら危ないと忠告されても日本での生活を基にはそこがどれほど危険なのかテロリストたちに誘拐されるまで想像もつかなかったのではないでしょうか?

  話を本題に戻しますが、当初道場には僕の先輩にあたる内弟子が一人居て、その先輩と対面した時、とても驚きました。その人は以前、極真会館総本部の内弟子が住む若獅子寮隣のアパートに住みながら1日3部制のクラスに欠かさず毎日出席し、我々内弟子の間では『内弟子選考審査に落ちた人だろう?』と噂が飛び交うほどインパクトの強い張本人だったからです。その頃、総本部のクラスは1部が2時間半あり3部すべてに出席すると7時間半と内弟子より稽古をこなしているような人物でした。そして、内弟子よりも早く隣にあった公園で早朝自主トレをやっていたようにも記憶しています。僕が総本部を去ったため親しく話をする仲までにはなりませんでしたが、まさか海を越えたこの地で再会するとは…何とも不思議な縁に驚くばかりでした。というのもその先輩は空手をするためにシカゴで住み始めた訳でなくシカゴ郊外の会社で働くための渡米だったと聞きました。その職場にたまたま顔を出した三浦師範にオーナーから『以前空手をやっていた』ということで紹介され、当時私生活で悩んでいたこともあり、それらをふっきる為に内弟子を申し出たようです。そんな事情を知ると『出会いって不思議だし面白いなぁ〜』とつくづく感じます。

  のちに精神面で多くのアドバイスを受けた和尚から「人間生きていると、どこで誰とどんな出会いをするか分からん!その時、恥ずかしい思いをしないように常に人と接しなければならん!」と教えられたのを思い出します。偉そうにしていても、いつ立場が逆転して再会するか分からないと思えば誰に対してもそれほど偉そうにできるものではないということを伝えたかったようです。

  最後に、こうして出会った先輩もある事情で内弟子生活から去る事になりました。その事情とは、僕がシカゴ生活1週間目にしてSquad car (パトカー),7台に囲まれる出来事でした。押忍

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