受け、すなわち攻撃なり April 22, 2009

 三浦師範の下での内弟子修業中は、事あるごとに『受けが受けのための受けじゃ駄目なんだよ!』と言われ続けましたが、私といえば何となく分かったような程度でした。 その後、試合経験を積み重ねていく中で『受ける』とは、ただ単に攻撃からのダメージを防ぐだけでなく、受け技を使って相手を崩し、こちらからの攻撃に優位なポジションをとる動きまでが『受け』であると実感しました。この事を理解した上で三戦立ちから始まる受け技の稽古をすれば、組手での動きが見違えるほどの変化をもたらすであろうと思います。また、この事は日常生活で起こりうる様々な状況に備え physically・ spiritually の両面から応用できるものだと信じています。そして、それこそが〈サバキ〉の意味するところだと解釈しています。

  話変わって、大山茂最高師範・大山泰彦師範・三浦美幸師範が行う演武に真剣白刃取りがあります。 最高師範曰く『白刃を受けるつもりでは到底受けれない! 白刃取りをするには、両手で白刃に張りパンをくらわすつもりで白刃を叩く』と。いつも演武前には三人が集まって稽古をされていましたが、内弟子であってもそれを見る事はできませんでした。 そういえば他流派の先生が『あの真剣白刃取りはインチキで刀を振る方はちゃんと止めるようにやってるんだ!』と雑誌か何かでいちゃもんをつけていたのを読んだ三浦師範が『実際に一回でもやってみてから大口叩けってんだよ!』とポロッと言ったのを思い出しました。 試しに新聞紙を丸めたもので何回となくやってみましたが、両手で挟むどころかすべて僕の頭上にヒット。 あれが真剣だったら...僕の頭は、ずたずた状態であの世行き間違いなしでした。 あえて言えば、演武とはいえ真剣を向けられて平常心でいられ、相手の呼吸を読めるようになるには、相当な修行を経験しないと難しいのでは?と思います。  昨今、何かと評論する人が目立ちます。 『お前ら!本当に人のした事をとやかく言う程の経験なり実力を持ち合わせているのかよ!』と言ってみたくなる輩がうじゃうじゃいます。 

さて話を戻し、僕の記憶では十数年前に代々木第二体育館でUSA大山空手vs正道会館の試合で行った演武が最高師範の最後の真剣白刃取りだったと思いますが...? いつも三浦師範が刀を振る役であり、演武直前の稽古で親指がかろうじて皮一枚だけで繋がっている程の大けがをした経験もあるそうで真剣を使う以上、呼吸が合わないと相当危険だと聞きました。

 何が言いたいかというと、『何事も受けているばかりが本当の意味での受けではない! 本来の防御とは自分へのダメージを最小限に抑えながら、その相手に対して優位なpositionを取る』という事。 最後に『受け技とはdefenseだけにあらず、offenseなり』今までの経験から実感し得たものです。この事は組手だけでなく、日常生活の中でも感じています。  押忍

inserted by FC2 system