July July 30, 2009

 ハッと気きづけば前回のコラムから早や二ヶ月が経ってしまい、あっと言う間に時間が過ぎ去った感じです。七月も明日で終わりますが、シカゴに住んでいた頃は独立記念日の花火が終われば『夏もすでに中盤か〜!』と感じていました。 6月からサマーブレイク(夏休み)が始まる学校が多く56月は日本でいう卒業式シーズンです。 この時期、高校生にもなると男はタキシードを身にまとい親父の車を借りてガールフレンドを誘い、女性はドレスに身を包み『Prom』と呼ばれるダンスパーティに出席します。 このパーティは学校が主催し体育館などで催され、もちろんアルコール類はサーブされませんが楽しいひと時を過ごせる一大行事になります。 僕もJAL Chicago officeで働いていた頃は、毎年この時期になると貸切のフェリーでミシガン湖をクルージングしながらのダンスパーティが催されていました。 海のようにさえ感じられる広大なミシガン湖上なので、どんなに騒いでも周りからの苦情など皆無で時間を気にせずに思いっきり楽しめました。 アメリカの労使関係は非常に厳しいけれど、働く人たちは自分達のいるsituationの中で最大限に楽しむ事を知っているように思えました。

  話変わって、アメリカで74日と言えば『Independence-Day』(独立記念日)それを記念して全米で花火が打ち上げられます。 シカゴ市では前日の3日がその花火で、ダウンタウンに近いミシガン湖上から打ち上がるのをオバマ大統領が大統領選の勝利演説で使ったあのグラントパークに集まってバーべーキュをしながら観るのが僕らの恒例行事となっていました。三浦道場埼玉の廣瀬先生が、まだシカゴに住んでいた頃は、その公園の正面にそびえ立つHighrise(高層マンション)に住んでおり、よく何かと理由をつけて押しかけドンちゃん騒ぎをさせていただいておりました。 この秋には所用でシカゴを訪れる予定なので思い出の場所を訪ねて懐かしい顔に会ってこようと思っています。 

  もう一つ、74日で思い出すのは家人が滞在先のパリから「赤ちゃんができたみたい?」と電話をかけてきた事です。 日本国籍の彼女と日本国籍で米国の永住権しか持たない僕がすぐに米国内で合法的に一緒に暮らし始めるのは難しく、僕が帰国を決意した要因のひとつです。 あの時、僕が市民権を申請して米国籍になる覚悟をしていたら? もし、僕がシカゴをベースに日本と行き来する生活を選択していたら? と帰国後しばらくは日本での生活に馴染めず、思い悩み帰国したことを後悔する日々でした。 あれから何年経っただろう? 今では生まれた娘も幼稚園の年中になり、たった3人で始めた空手クラスも多くの道場生が集まり今年は合宿も行い、廣瀬先生の道場と始めた交流試合も『大会』に昇格し、昨秋は三浦師範を迎え100人程に参加いただき、催す事ができました。

まだまだ、この先何が起こるか分からん!と気を引き締めますが、何かが起こる度に『生かされている』と実感する私です。

  いずれの時でも何かを決断しようとする時、常に不安ばかりが先走り、心は迷い続けます。 それでも、逃げてはいけない。『Face it and break through it !  押忍 

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