ふっ〜と思い出す    June 13, 2010

 つい先日、管内閣誕生で大臣の仲間入りをはたした蓮舫議員の略歴が紹介されていたなかで青山学院大卒というのを聞いてふと思い出した事を書きます。 

  あれは僕がNew York に渡る資金稼ぎのため、南青山にあった結婚式場でアルバイトをしていた頃、BGM 担当のバイトに当時「ミス青学」として週刊誌等にも紹介された子がいました。 僕より一つ年下だったので、ちょうど蓮舫議員と同学年だったと思います。 確かに、きれいな顔立ちで周りのバイト仲間の学生達はどうにか彼女と付き合おうと一生懸命がんばっていました。 まぁ家柄も良く相当金持ちだと聞いていたので、僕にとっては高根の花であり「僕はお呼びでない!」と感じていました。 そんな事よりアメリカへの渡航費用調達に必死で恋愛を考える余裕すら持ち合わせていませんでした。 それから何年経っただろうか? アメリカ生活も10年選手になった頃、突然彼女から連絡が・・・「仕事の関係でシカゴに立ち寄るのでDinner でもいかが?」との誘い。 今、ふっと気づいたんだけど、どうやって僕の連絡先がわかったんだろう? 僕には付き合ってる女性もいなかったので、かすかな期待を胸に空港まで迎えに行ったような? ところがgateからはHusband らしきアメリカ人男性を伴って出て来ました。 淡い期待を持っていた僕は微笑せずにはいられませんでした。 空港からレストランに向かい食事をしながら懐かしい思い出話に花が咲きましたが、なんせご主人は日本語を理解しないようなのでいらぬ誤解をされぬようほどほどに切り上げ別れたのを思い出します。 その後、Christmas card のやり取りやBabyができた時にCard が送られて来たりしていましたが、僕がアメリカを離れる頃には音信不通になり現在に至ってます。 ふと今はどこにいるのかなぁ?と思い書いてみました。

  もう一つは先日あるマンション内で、そこの住人を対象に空手を教えていますが、日ごろの成果を発表できる演武会を催しました。 そのプログラムの中に板割りを入れたのですが、初めての経験からか、それともたくさんのお母さん、お父さんに観られ緊張気味だったためか板は割れず、手を痛がる子が何人もいました。 そんな光景に思い出した自分の苦い経験を一つ。 

  あれは、雪が降り積もっていた週末のある日、プエルトリカン達のパーティに招待された僕はテキーラをショットでガンガンいただき十分に酔っぱらった頃、僕を招待してくれた奴がブロックを手にスパニッシュ(スペイン語)で何か叫んでいます。 すると、それまでラテンミュージックに乗りに乗ってダンスをしていた100人ぐらいの人間が僕に注目し始めました。 どうやら「今から、俺の空手の先生がこのブロックを素手で叩き割って見せる!」ってな事を口走ったようで、僕も酔っぱらってるから行け行けです。 そんな中、今でも記憶に残っているのは、彼が手にしていたブロックは、つい先程まで外に置かれていたものだと直感できるくらいびしょびしょに濡れ、冷え冷え切っていました。到底割れるシロモノではありません。 しかし、周りはもの凄い歓声で今さら引き下がる事を許す空気ではないと肌身で感じました。 やるしかありません。 左右の拳で何回叩いただろう?いっこうに割れず、僕の手はズタズタ状態で血が溢れるように流れ出しています。 酒を飲んでるからより一層血の流れも良かったみたいです。 歓声が悲鳴に変わって数人の女の子たちは今にも泣き出しそうな雰囲気でした。 一か月以上拳が痛くて握る事も出来ず、何かで人に拳を見られる度に、相当気持ち悪がられていました。 その時は保険も金も無く、病院に行くチャンスがなかったので余計に治るのが遅れ苦労をしました。 若き日の苦い思い出です。 余談になりますが、その場に居たほとんどの人は僕の事を「クレイジー」と呼び始めました。   押忍

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