シカゴでのなが〜い夜

 シカゴで初めて迎える週末の稽古後、通いの日本人道場生が歓迎会を開いてくれることになり、彼らのアパートに先輩と招待されました。そこは道場から歩いても10分程度のところでしたがシカゴは既に冬の到来で冷え込んでおり、先輩が300ドル(当時、日本円にして約50000円)で購入した高級車で乗りつけました。もちろん、値段からも想像できるようにどうにか動いている状態で23分離れたところに行くにもいつ止まるかハラハラドキドキものでした。(アメリカには車検制度が無く、当時はゴミ袋でガラスのない窓枠を覆たり、ボンネットが半分ないような車がたくさん走っていました。)その日は久しぶりの鍋料理にありつけた上に気兼ねなく日本語で会話ができ、お酒がすすみ僕はビール党ですが先輩は何でもこいで量も半端ではありません。170cm 60kgの身体で痩せている感でしたが、日本酒なら1升をあっという間に飲み干してしまうほどの酒豪で、僕もよく飲んだけど先輩には到底ついていけませんでした。 

  さて、お開きとなり道場へ帰る頃には先輩はもう泥酔状態でいくら近くても運転はXです。 先輩に「僕が運転しましょうか?」と尋ねても「大丈夫!」との返答。アメリカ人をして『Hard head(頑固者)』と言わしめた先輩、僕もそれ以上は聞かず覚悟を決めて車に乗り込みましたが、15分程走っても道場に着きません。いくら初めての場所に来た僕でも何かおかしいと気付き先輩に「多分、帰る道とは反対方向に向かっていると思いますが...?』と遠慮気味に伝えますが、先輩曰く「いや、こっちで間違いない!」との返事。 ただ、車は蛇行して走り続けており、スピードも速くなったり遅くなったりと助手席に座る僕のほろ酔い気分は一気に吹っ飛んでいました。どうやって止めようかと考えながら1時間が過ぎた頃、いきなり1台のパトカーが車の前に立ちはだかり、さすがの先輩も車を止め少しは冷静になったようでした。周りを見渡すとパトカーがぐるりと取り囲み、備え付けのSearch lightで四方八方から洸々と照らし付けられていました。 車の後部からofficerたちがこちらに近づいてきます。よく見ると両人とも腰に備えてあるgun(拳銃)をいつでも取り出して撃てる体勢です。まさに緊張の一瞬でした。多分、我々はdrug(麻薬)でハイになった状態とでも思われていたのでしょう?執拗に車の中を調べられました。その間、僕らは別々のパトカーに乗せられ、先輩には両手に手錠がかけられていました。その時は、その状態に衝撃を受けましたが、のちにアメリカの警察は取りあえず相手が反撃できないようにして身柄を確保しておく事を知りました。彼らも常に命懸けでの対応をしていないと太刀打ち出来ないことは治安状況を考えれば理解できますが...。

  余談になりますが、時々顔を出していたGary先生(ウィスコンシン州内の警察署長で極真会館の第二、三回世界大会にUSA代表としてウイリー・ウイリアムス選手らと共に参加)をはじめ道場に通っていた数人の警察官は必ず拳銃を231丁が脇か腰でもう1丁を足首に巻き付けている人が多かったように記憶しています)携帯しており、それらを稽古中はofficeに実弾と共に預けておくのですが(日本ではありえないでしょう)頼まれるといつも緊張していました。

  そして、先輩と僕はパトカーで近くの警察署に連れて行かれ、お互いが顔を合わす事を一切許されず、英語が話せない僕としてはとてつもなく不安な時間になりました。   つづく。

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