あれから10年か? September 12, 2011

 昨夜、アトランタに滞在中のM氏から『こちらは9.11の追悼セレモニィ−一色です。』とのメイルが届き、ついでに『何か思うところはありますか?』と書かれていました。 あの時はJAL社員としてChicago O'Hare空港で働いている最中の出来事で、その日から一週間、一カ月、いや一年は色々な事を考え、実感する日々を過ごしましたが、特に長かったその一日を書きたいと思います。

  まず、我々がManhattanでこれまでにない事件が起こっている事を知ったのは、朝方に受けた、その日は休日だった社員からの電話でした。 日頃はcode share便や他社便のフライト状況を確認するためにあるOffice備え付けのテレビ画面をニュースに切り替えると、もくもくと黒煙を上げるWorld Trade Center が映し出されていましたが、reporterをはじめ誰もがそこで何が起こっているのかを理解しきれていない様子でした。 そうこうしているいうち画面に見入っている我々の目前で2機目がもう一方のbuilding に激突しました。 あちらこちらで一斉に悲鳴が上がったのは言うまでもありません。テレビ画面を通してさえあれほどの衝撃、現場近くに居合わせた人達の受けた衝撃は想像を絶するものだったと思います。 ただ忘れてはならないのは、これがNew York City だけに終わらずハイジャックされた機がPennsylvaniaで墜落し、また別の機がD.C.の国防総省に突っ込み、そこでも多くの犠牲者が出たという事実です。中でもPennsylvaniaに墜ちた機はホワイトハウスを目指していたとの話。それを知ってか知らずか? 乗り合わせた乗客と客室乗務員が勇敢にもテロリスト達に立ち向かったと聞きます。もちろん自分たちが生き延びる為にとった行動だとは思いますが、結果的にその行為は自らの命と引き換えに、それ以上の犠牲を阻止できたと思います。はたして自分が、その場に居合わせていたとしたら、その一員となって命を投げ出し悪に立ち向かえていただろうか? 

 その日の夜、家路に向かい『世界一忙しい』と云われるオヘア空港を後にしながら、いつもとは異なる異常なまでの静まりが、まさに嵐の前の静けさを予感させ、深いアメリカの悲しみ、怒りを感じさせられずにはいられませんでした。

  あれから10年という歳月が過ぎ、今思うに違いはあれど想定外の事が起こった時、日本人の助け合う心には誇りを感じましたが、多様な人種が集まって生きるこの地にあっても有事には星条旗の下に団結するアメリカ合衆国のパワーを思い知らされた気がします。 まさに『星条旗よ 永遠なれ!』を彷彿します。 

  これまでテロ行為にも大災害にも出くわすことなく元気に躍動するこの命『感謝の念を抱きながら、どう活かすべくか?』と追悼セレモニーを観ながら考えさせてもらいました。  合掌

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