Meditation) November 2, 2011

 Chicagoで小杭住職に出逢い週一回ですが、一時間ばかり座禅を組む生活を10年近く続けました。ミシガン湖沿いに広がる壮大な公園の近くにある本堂で毎週日曜日の朝、地元の人達20人程と瞑想をして過ごしました。禅と言えばアップル社を立ち上げ、先日この世を後にした Steve JobsChicago BullsWorld Championに何度も導き、Los Angeles Lakers に移ってからも、その手腕を発揮しNBA finalを幾度となく制した名伯楽 Phil Jackson が大いに影響を受けた事も知られています。

  私が禅を始めた目的は試合前の緊張を少しでも和らげれるよう精神的な強さを求めての事だったと思います。しかし、小杭老師曰く『禅とは無になることだ!』と。また、『心を無にしよう、しようと思とるうちは決して無になれん!』とも云っておられました。針が落ちても分かるくらいしーんと静まり返った中で、老師が木と木を打ち合わせて心の底まで響きわたるような音を出しますが、誰しもその響きに驚愕し声を上げる者さえ何人かいました。私も心臓が止まる思いをしたのは一度や二度ではありません。ただ、何年も続けていく中で呼吸に意識が集中し、それを自然な音と感じ、小鳥のさえずりと何ら変わりなく耳に入るような境地をも体験出来ました。老師より贈られた書には「心を無にして立ち向かえば怖るるものなし」(There is nothing to be afraid of it, if you face it with a pure mind.) とあり、我が家の壁に掛けられています。

  そんな事を頭に『緊張』と『Relax』という事について書きたいと思います。 結論から言うと、それらは何事にも必要不可欠な要素であり、どちらが欠けても、どちらかに偏り過ぎても上手く事は運ばないと思います。 要するに、どちらかが too much な状態では良い結果を残さないという事です。【 緊張を無くそうと場数を踏めば、その事には慣れるが 『その慣れ』は時として隙を導き出し、『その隙』は往々にして失敗という結果を生み出してくれます】 人生この繰り返しではありませんか? 私だけかも知れませんが・・・? 

  何事に於いてもプロフェッショナルと感じさせる人は、ほど良い緊張感を保ち、ほど良くrelaxが出来た状態で物事をこなせる人だと思いますが、常に100%その状態にあり、事にあたれる人ってこの世にいるのかな? まぁ〜いないだろうね! 『だから誰しも人間なのであり、だから誰しも生かされている価値があるのであり、だから誰しも人生が面白いのである。』

  一昨日、この世に生を受けた命は、すべて70億人目という称号を手にしたそうです。そして、そのすべての生命が『pure mind』を携えて・・・。 いつしか気付いた時、私のように、それがどこに行ったか分からないという事にならないよう祈るばかりです。 それを取り戻すには相当の根気を必要とするから!  押忍

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