わが身を活かす January 10, 2012

 午前中、身体のメインテナンスに行って一息ついてから定期的に続けている献血に向かい、今回は以前より考えていた骨髄バンクへのドナー登録も済ませました。米国で車の運転免許を取得する際にドナー登録の有無を問われる経験をして以来、積極的に登録をするようにしています。 僕は骨髄以外にも提供できるものは殆どドナー登録済みで家人にもその旨は伝えてあります。骨髄は、主に白血病患者への提供を考えての事ですが、これまで私の身近でそういう患者がおらず接した経験もなかったことでドナー登録という事に無関心だったように思います。しかし、所沢で空手を指導する中で重い病気を患った2人の小学生に出会いました。両人共「先日まで元気にクラスに出席し、気合いの入った突き、蹴りを繰り出していたのに・・・なぜ?」そう感じたほど突然の宣告でした。お見舞いに行かせていただいたりもしましたが、この世に生を受けやっと二桁の歳になったばかりの子が無菌室で身体に管をつけられ、私とはガラス越しにしか応対できない姿を目の当たりにして心底やるせない気持ちになったのを覚えています。現在彼らは快復し元気にこの新年を過ごし始めただろうか?と思い起こさせてもらった一日です。 

  また以前、航空会社で働いていた頃、難病を患い日本では何かと難題の多い移植のみにしか望みを託せない患者が、そのわずかな望みを求めて渡米されたのを空港で何回かお世話させていただきました。その患者の殆どが小学生かまだ小学生前と思われる子供達で、彼らの気持ちを考えるとなかなか言い表すことができませんが、胸の詰まる思いでした。こうした体験を通して、いずれ何かしらの役に立ちたいという思いが芽生え、いつ自分が或いは家族が患者という立場になるかも知れず、早い内にアクションを取らなければという思いが僕の中には根付いていました。 

  これまで献血ルームに行っても2、3人程にしか出会った事がなかったのに今日は平日の昼過ぎにも拘らず十数人が既に待合室で待機していました。ただ、骨髄バンクへの登録に関心を寄せている人は皆無だったのが残念です。人は誰しも『何かと面倒そうだ?』とか『手間がかかりそうだ?』と第一印象で感じれば例えそうでなくても敬遠しがちです。

  いつしか私の肉体に宿る何かが、それを必要とする人に活かされ喜びとなるのであれば、その満足度は計り知れないものであろうと自問しながら、その場をあとにしました。 人はそれぞれ違った価値観を持ち合わせており、僕の考えを誰かに強いる気持ちは毛頭ありませんが・・・。それがたとえ家族であろうとも。  押忍

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