私のわがままか?  February 06, 2012

 最近耳にした言葉に「変わらないでいるために変わらなければいけない!」「戦わないでいる為に戦う訓練をする」があります。 以前だと、これらの言葉をどれだけ偉い人から言われても「おっさん!寝言いうとんちゃか〜!訳の分からんこというな〜!」ぐらいにしか感じていなかったと思います。 実際、大山倍達総裁が生前、朝礼の中で我々内弟子に向かって「君たちはサムライでなければいけない、本物のサムライはねぇ!一生涯、刀を鞘から抜く機会がなくとも常に刃を磨いて鞘に納めておくんだよ!それが本当のサムライだよ!分かった!」と訓話された時があり、僕は内心分かったような分からないような気分でしたが、首をかしげる事など許されません。 当時、道を挟んで向かいにあった病院まで響き渡るぐらい大きな声で「押忍!」と返事をするしかありませんでした。 あれから数十年、人並み以上の体験をさせてもらった今になり、やっとあの時の言葉や昨今耳にしたこれらの言葉が実感できるようなレベルになれたような? 今では『大津道場』に通う道場生に向かって、偉そうに同じような話をしている自分に気付く時があります。

  そういえば先日、BS放送で海外向けに作られたプログラム『 サムライスピリッツ 空手道 』を観ました。ナビゲーターの極真空手出身ニコラス・ペタス自身が沖縄空手を体験し、その達人たちと接する中で今までに感じ得なかったもの、考えるに至らなかった事などを学び取り、最後にこう付け加えていました。「今まで修行してきた空手とそれらとでは、野球とサッカーほどの違いを感じた」と。また、番組内でインタビューされていた元極真空手世界チャンピオンの数見肇氏は『空手とは型である』と話していました。 しかし、未だその域に達していない私は、それらを実感できないでいますが・・・。

  『カラテ』と言っても日本国内を見渡しただけでスタイルはごまんとあります。習い始めたいと思う人は、家の近所にある道場を選ぶだろうし、どんな先生が教えている道場かを調べるだろうし、今のご時世では月謝の額も選ぶ条件になりえるでしょう。教えている側の僕としてはいくつもある道場の中から何かしらの縁で『大津道場』に通い汗を流す道場生一人一人が何らかのbenefitを感じ得て、それぞれの人生に活かせれば、これに越した達成感・満足感はありません。ただ、もし生まれ変わるとしたならその時は、いままでと違う環境の中で違う道程を歩みながら己を試してみたいと思うのは恵まれ過ぎたこの国の環境で生かされている私のわがままだろうか・・・?   押忍

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