自力本願? いや他力本願? February 27, 2012

 ニュアンスとして『他力本願』という言葉はあまりいい意味では使われないし、僕自身も『それは何かに、誰かに、どこかに頼る』という印象を強く持っていました。だから、小杭和尚に出逢い説法を聞くまでは他人に『私は他力本願によって生きています』なんて冗談でも言った覚えがありません。ところが、和尚の『そんな事ゆうてもオマエ!牛・豚・鶏の肉を喰らい、野に生きる野菜を食べ、自然界より与えられた水を飲み、オマエの命が宿っているのではないか?』『もっと言うと、それら動物や植物の犠牲によってオマエの命はエネルギーをもらい生かされているのではないか? もしくは病気になった時に飲む薬や受ける手術方法も多くのモルモットという犠牲があってこそ研究、開発されたものじゃろ!』『こう考えてみると他の力なくして願いなど叶わぬし、生きても行けんぞ!』と説法をされたのを機に『他力本願』という言葉の重みを深く知り、常々こう自覚するように心掛けています。『決しておのれ一人の力、思い、考えでこの世に生きているわけでも生かされているわけでもない。だからこそ今なにができるか?何をしなければいけないか?という姿勢で物事に取り組むべきである』と。

  そういえば、言葉の使い方が良いか悪いかは別にして、内弟子時代に大山倍達総裁が『きみぃ〜毎日バーベルやダンベルだけを頼りにするような他力本願の稽古ではダメだよ!自分の身体の負荷を使った自力本願の稽古をしなさい!』とよくおっしゃられていました。その教えを忠実に守ってきたおかげで私自身、筋骨隆々であると感じた事はありませんが、昨今よく言われる『体幹』を意識して鍛えれた事が身体のバランスを保つのに大いに役立っていると感じます。

  話が突然変わりますが、この国で生活していると他国に比べ、どれほど恵まれた環境で、どれ程までに頼った生き方が出来るかを実感します。ただ、マスメディアをはじめ政治家、評論家は他国の優れたところばかりを強調したり、我が国が劣ると思われるところばかりを探し当て、それを吹聴する輩が多く、大半の人達はそのマインドコントロールによって、数多くある恵みに気づかされていないように思えます。話が横道に逸れそうになり始めたので元に戻さないと、またマスコミ批判に走りそうで危ない!危ない!

  さてさて、皆さんは自力本願で生き抜きますか? それとも他力本願で過ごしきりますか? われ曰く『それらをわが人生の両輪として上手く使い思う存分わが人生を謳歌したいと考えております。』 そうは上手く問屋が卸してくれませんが・・・?   押忍

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