教えるという事 April 17, 2012

 我が大津道場では親子でのクラス参加が多く大人のメンバーには男女を問わず常々クラス進行のお手伝いをしていただいております。 特に初段(黒帯)になると、次の昇段に向けての必須事項としていますが、実は私が楽をしたいだけなのかもしれません?() もちろん『完全にお任せする』ということでは無く『こういう事をやって下さい』とdirectionを示し、その傍らでクラスの雰囲気や道場生の意気込み等々を読み取るように心掛けています。 そこから感じ取ったモノを私がクラスを進めて行く上での参考にさせてもらっています。 海外での道場経営の経験から常に誰かに任せて師範と呼ばれる人物がそこに居ない状況はあり得ない感覚で、どんなに年を重ねようとも、どんなに有名になろうとも、どんなに指導員の数が増えようとも道場でその場の空気を感じ取る感覚を忘れてはいけないと自分自身を戒めています。未だそれに至らない私が理想を唱えているに過ぎないかも知れませんが・・・?ただ、『いつの時も自分が指導する動きは自分の身体で見せ示せるようにと!』 この事は私の中で揺るぎない信念として根づいています。 その信念の下、あちらこちらに気を張り巡らせ何事も吸収し鍛練していく意気込み、すなわち『生涯に於ける求道者』今までに出逢った諸先輩方の生き様を手本とさせていただいております。

  黒帯を取得したという事は空手に於いてある程度の基本的な動きの習得を意味し、その先には、これまで身を持って習得した動き・考え・技術を自分なりに応用して、より深く己の中に溶け込ませていく段階が待っていると私は思っています。この過程で人を指導するという事は人に教えながら色々と気づかされ、より考え、より迷い、その結果として多くの事を学び取るのに最も適したチャンスであろうと思うのは私だけだろうか? いや、この考えはどの社会においても応用でき、そこから先ステップアップして行くのに必要不可欠なものであると私は信じ込んでいます。

 いま一度、大山倍達総裁が唱えた『頭低く目は高く、口慎んで心広く、孝を原点として他を益す』の精神が頭をよぎります。

  なお、一般には公開していませんが、道場生専用ページのfrontpageに私の指導に対する心構え、道場生の皆様への思いをあいさつ代わりに記させていただいておりますので、ご一読下さい。また、大津道場生でなくても興味のある方はご一報いただければpasswordをお知らせ致します。 押忍

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