母の日に想う May 14, 2012

 今でも僕の記憶の中に鮮明に残っています。三十数年前の冬のある日、小学校からの帰り道で偶然に親戚の人とばったり会い、その日の正午過ぎに長年入院生活をしていた母が息を引き取った事を知らされました。 家に着くと既に葬式の準備が始まっていましたが当時まだ10歳にも満たず幼かった上に、母が入退院を繰り返し一緒に過ごした時間が短かったせいか? 母の亡骸と対面した際、日頃海の荒くれたちを相手にした仕事で強いと思っていた父が人目をはばからず号泣していたにもかかわらず、私の目からは涙が出てきませんでした。いま想えば、母親にもう二度と会えないという実感が湧いていなかったのが正直なところでしょうか? 

  その日以から父、兄との男ばかりの生活が始まり、その生活は私が中学を卒業して県外の高校に進学し寮生活に入るまで続きました。その頃は独り立ちしたい気持ちが強く、わざわざ知り合いが一人もおらず、その時代に地元では名を出しただけで怖がられるような高校に進み、一日でも早く名を上げたいという野心を持っていたように思います。 それから東京・ニューヨーク・シカゴと生活の拠点を変えていきましたが、常に誰にも負けたくないという強い意志で突っ走って生きてきたように思います。そんなバックグラウンドのせいか? まだ7歳の娘に心の強さを、意志の強さを求め過ぎるようで家人からよく注意を受けます。 母の日に娘は心のこもったメッセージを記したカードを用意し、自らすすんで手伝いをしていましたが、翌月に控えた『父の日』はどうだろうか? まさか!『まったくの無視』という事にはならないだろうか?と既に危惧している私です。

  どの国に於いても、やはりオヤジよりは母親、おふくろの方が大事にされているようで、米国生活でも”母の日”の方が”父の日”よりも盛大に催し物やpartyが行われていたように思います。まぁ!こんな事に嫉妬しても仕方ないかぁ? 何はともあれ成長するにつれて『生き抜く力をより磨き上げていってほしい』と娘に対し強く願っています。

  話し変わって、このゴールデンウィーク中に関越自動車道で起こったバス事故。主な原因は運転手の居眠りらしいが、新聞報道によると事故を起こす前からその兆候に気付いた乗客がいたようで「ひょっとしたら事故になるのでは?と感じていました」と平然と取材に応えていたけど、この感覚おかしくないですか? 僕に言わせると『自分に危機が迫っていても他人事のようにどうにかなると思ってたんかい?バスが事故を起こせば乗っていた自分も多かれ少なかれ被害を受けるやろ!そう感じたらまず何らかの行動を起こさんかい!そんなもん思ってただけでは何の助けにもならんぞ!』その人の行動一つで回避できた大惨事かも知れないのに、それを指摘した報道機関は皆無だったような?何でも人任せで何もかも誰かのせいにし常に被害者意識しか持ち合わせない民たち、犠牲者を哀れむだけの風潮、もう変わらないと・・・! 

 昨日は、娘と近所の公園で遊びながらそう感じた昼下がりでした。 押忍

inserted by FC2 system