今、思えば…?    May 07, 2006

 この渡米はvisaの関係もあり当初6ヶ月間の滞在予定でした。それぐらいの期間であれば何事にも耐え忍べるだろうぐらいの気持ちでしたが、 帰国1ヶ月前になった頃、三浦師範より「どうだ!シカゴは気に入ったか?どうせなら日本で1週間ぐらいうまい物でも食ってゆっくりしたら、またシカゴで本格的に内弟子やれよ!」とのお言葉。続けて「俺のスポンサーに言っとくから好きな物をしっかり食わせてもらえ!」これには「押忍!ごっつぁんです」と力強い返事。その頃には三浦師範の印象も180度変わり『怖いどころかとても良い師範に巡り会えた』という思いとシカゴも『思ったより住みやすいところ』と感じ始め、どうするか迷いながらも実は食いものに釣られたかなぁ? ところがvisaが切れる直前になると延長手続きをすることになり、一時帰国の話はどっかへ吹っ飛んでしまいました。

  それから半年が経ち米国滞在も1年を迎えビザが切れる数日前、一大決心に迫られました。もうvisa延長は余程の理由がない限り許可がおりません。visa有効期限が過ぎればその日から不法滞在者なり、帰国するか米国に居残るかの選択を迫られ、後者を少し迷いはしましたが選びました。段々とChicagoでの生活にも慣れ始め、不自由ながらも内弟子生活を快適に感じられるようになっていたことが大きな理由でした。それに孤独感も薄らぎ1人での時間を楽しむようになっていました。しかし、不安だったのは、何かの理由で出国したら再入国は色々面倒だろう?という弁護士からの忠告でした。それで永住権の申請を検討しましたが、多額の費用が必要な上に取れる保証はどこにもない状態だったので止めました。(因みに三浦師範が申請した頃は極真会館総本部からの昇段状とシカゴ道場のスポンサーの推薦状を提出するぐらいで半年程すれば取れたとの事でした) 師範曰く「大丈夫だ!空手の先生はもてるから、いずれアメリカ人と結婚すれば直ぐ取れるよ!」と。ただ、「まぁ、内弟子のうちはガールフレンドを作るのは厳禁だけどな!」と付け加えるのを忘れませんでした。(余談ですが、その頃はティーンエイジャーか、僕には年上過ぎる女性しかシカゴ道場には通っておらず、barに行ってナンパできるほどの容姿も英語力もなく諦めていたのでガールフレンドが欲しくてたまらないという気持ちは薄かったように思います。) 以前、三浦師範は近くの大学でクラスを持っていたようですが、故大山総裁の命で第一回世界大会準備の為、1ヶ月程の留守中にテコンドーの先生がそこに入り込んでしまったらしく『女子大生との出会いのチャンスも無くなり残念だね!』と言われたのを思い出します。残留を決めてからは不法滞在という身になり、日本には一時帰国したくてもそう出来ない日々を過ごしました。

  また、1992年頃にはVWPP (Visa Waiver Pilot Program: 短期の観光や商用の場合、90日間はvisaなしでの滞在が可能) の施行で行き来しやすくなりましたが、不法滞在者に対しては一段と審査が厳しくなった上に、同時多発テロ後はよりいっそう入国審査官の対応が厳しくなりました。(空手を教える傍ら1999年から航空会社でも働きシカゴオヘア空港の入国審査官や税関officer らと日々顔を合わせる中で色々な勉強をさせてもらいました) この航空会社勤務の体験でも面白い話がたくさんあり、いずれ紹介していきたいと思います。さて、この国はこうした取り締まりを厳しくする一方で特定の国籍保持者に対して不法滞在者であろうと毎年Lottery (宝くじ)で永住権が当たるということを実行するとてもユニークな国です。幸い日本国籍保持者は応募の資格がありました。ただ、第1回目は当たれば定員数に達するまで提出書類に不備がない限り取得可能でしたが、2回目以降は『永住権を申請する資格を与える』に変更されたように思います。僕も第3回目に運よく当たり歓喜しました。ところが思ったより手続きが複雑な上に、依頼した弁護士がまったく役に立たず結果として取得することが出来ませんでした。あぁ困った!八方塞がりになり、とうとう日本に帰らなければいけないかと諦め落ち込んでいましたが、ふとした僕の一言から滞在への道が開かれ始めました。 つづく

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