己のセンスを磨く December 2, 2007

また旅の話から外れますが、先日行った昇級審査でふと感じたことを書きたいと思います。立場が、状況が、事情が人を変化させて行くのだなぁ〜とあらためて感じました。 思えば白帯を締め、ぎごちない動きだった道場生も色帯になったその日から動きに逞しさが感じられたり、色帯から茶帯、黒帯になると, 尚いっそうの力強さを感じるようになります。まさに『自信』というもののなせる業なのだろうか? そういえば三浦師範がよく言っていました。 「黒帯を締めると不思議と動きが変わるんだよな〜!」と。師範は道衣の着方から帯の締め方まですべてに気を使い、常々『道衣は俺達のスーツなんだからな!ピシッと着ないとダメだ!』とおっしゃられていました。 その影響か?僕自身、道衣を身にまとい帯を締めた時、何か心に感じるものがあります。 試合に行った時、初対面でも道衣姿でその選手の大体の実力が予想できたような?気がします。 『何がそうさせるのか?』と聞かれれば、はっきりと説明できませんが・・・。

よく『立場が人を作る』と聞きます。 おおむね良い意味で使われていると思いますが、ひねくれて考えると悪事をする奴もその人物を取り巻く環境がそうさせていると思うことが多々あります。 そういえば例の和尚がよく凶悪犯罪が起こる度に云っておりました。 『その被害者にならなかったのはもとより加害者にならずに済んだ事をも感謝せないかんぞ!』 『おまえが加害者にならずに済んだのは、おまえが立派だからなのではなく、そういう事をしなくていい立場、状況に生かされているからだ!』と。 初めてそれを聞いた時は『何を言ってるんだ!このクソ坊主!』と口には出しませんでしたが思っていました。 時間が経ち僕なりに理解した説明を身近な例ですると、昨今騒がれている食品の色々な偽装ですが、消費者ももう少しブランド一辺倒ではなく、本物を感じるセンスを磨けばいいのでは...? 盲目的に『どこどこの何々といえば、間違いなく良い物と思い金も出す』となれば悪知恵を出す輩が出てきても何ら不思議ではないと思います。 政治家の金銭スキャンダルにしても、その立場に居るだけで、来る日も来る日もあちらこちらから甘い話が近づいてくれば、清い心を貫き通すのは...? もし僕自身が彼等と同じ立場に置かれ同じような状況になった時、同じような悪事を絶対にしないという揺るぎない自信は悲しいかなぁ?ありません。 ただただ、そんな事をしなくてよい立場に置かれている今の自分に感謝するのみです。 それと平行して『本物を知る、見分ける、感じる』センスを磨かねばと! 本物はあえて自ら本物だと声を大にすることなく、泰然としているというのが僕の感想です。

 もう一つ、僕の故郷、香川県で起きた事件。 坂出市というと私の地元からは少々離れたところですが、連日のニュースで耳にする方言は懐かしく思います。しかし、こんなニュースでは聞きたくないものです。未だ3歳、5歳になる子を刺し殺せたという犯人の精神状態が理解できません。keyboardを打ちながらふと隣で騒ぐ2歳半になる娘を見てどんなことがあってもそのような気持ちにはなれないし、そんな気持ちを持たない自分に安心します。 幼児殺害という極端な例を出しましたが、昨今日本でも増えている幼児虐待のニュースを聞く度に何でそんな事が出来るのだろうか?と思わずにはいられません。 

 我々が稽古しているフルコンタクト空手は、組手に於いて実際に相手を叩き、蹴り、自分も叩かれ蹴られながら、その痛みを実感し、それがゆえに他にやさしくなれるという事も修行の大きく意味するところです。 この世の中、断じて自分より力の弱いと思えるものに対して強く出る傾向にありますが、僕自身がそうならないように身を律しなければ...。 

 最後に、今回書いた『立場が人を変える』という教えは親鸞聖人の弟子で唯円という坊さんが書き残した書に記してあるそうです。ただ、その書は『誤解を受けやすい』という事でなかなか世には出なかったと前出の住職が付け加えられていました。 さて、僕は誤解を受けないように書けたかな?  押忍

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